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2009.4.13 奥野信亮と明日の日本を語る会  第7回 セミナー開催
挨拶をする奥野信亮 挨拶をする奥野信亮


講演 前航空幕僚長 田母神 俊雄氏
講演 前航空幕僚長 田母神 俊雄氏


前航空幕僚長 田母神 俊雄氏を迎えて
奥野しんすけ東京後援会主催の第7回セミナー「奥野しんすけと明日の日本を語る会」が、4月13日(月)千代田区の都市センターホテルで開催されました。今回は、ゲストスピーカーを、(前)航空幕僚長 田母神 俊雄氏が忙しい中を曲げて務めてくださいました。はじめに、「奥野先生は経済のわかった、我々の味方で、業界は大変お世話になっている」と全日本トラック協会石井理事長の挨拶で始まりました。

奥野代議士は、国政報告をかねて挨拶に立ち、

「道路特定財源の一部一般財源化、継続して道路を作り続けていくことで、暫定税率を維持するなら、最近、私は、ガソリン税、軽油引き取り税を徴収している上に又ユーザーに、道路代を出せというのはいかがなものか?有料道路は無料にしてもいいのではと考え始めており、地域の活性化につながることになると思う。今回の金融危機−今、冷静に考えれば、世界の金融が、大分ずれていたと思う。1980年代は、世界のGNPと世界の金融資産の割合は、1:1だったのに、リーマンショック時は50兆ドル:170兆ドル3.6倍だった。これは問題、何かが起こると米、中国は対策を考えた。日本はのほほんと輸出を謳歌してきた。政治はグローバルに考え、手を打って行くことが必要。今年一杯でデフレギャップ50〜60兆円になると予想される。これでは日 本経済が持たないということで、爾後対策になるが、この半分ぐらいの経済対策が必要。20年補正、21年本予算 補正予算で27.8兆円真水の支出で、131兆円の経済効果が見込まれる。政治、経済手を打つ中でも、やはり財政規律もしっかり道筋をつけて立直しをはからなければならない。@経済デフレ解消、A輸出依存から内需振興。B景気を拡大し、税収を増やし、官のムダを排除してから消費税アップにつなげたい。弱い立場の人が、つらい立場にならないよう社会保障制度を考え、正直な人が、割を食わないよう社会を作りたい。選挙の争点は何かと聞かれれば強いて言え ば外交、安保だと思う。民主党内に統一見解がない。年金制度は、基礎年金は、税金。上乗せ分は401k方式、医療は県単位、介護は市町村ベー スとして安心して暮らせるのにどのくらい税金がかかるのか、又幼児教育に金のかからない制度を作り、学力向上に塾にいかなければならないような システムを改めたい」と話した。


「日本は侵略国家であったのか」 前航空幕僚長 田母神 俊雄氏 講演 
「危険人物の田母神でございます」と会場を笑わせた後、

「日本が侵略国家だということはないというのは、戦争が終わって、昭和30年に第1回のバンドン会議というのがあったんです。アジア・アフリカ諸国29カ国がこれに参加しました。インドネシアのスカルノ大統領の提唱で開かれまして、29カ国ほとんどが首相とか大統領が参加したので、これは国家レベルの国際会議になりました。日本は首相が参加しなくて、高崎達之助という経済企画庁長官以下十数名が参加したのですけれども、当初は参加を渋っていたのです。アメリカに遠慮があるということと、もう1つは、行ったら、日本が戦争をやったからおれたちの生活がむちゃくちゃになったと言われるという危惧を抱いていたわけです。しかし、恐る恐る行ってみると、何と言われたか。我々が今こうして白人国家と対等に話ができるのは日本のおかげだ、日本があれだけの犠牲を出して戦ってくれなかったら、我々は今もイギリスやオランダの植民地のままだった、本当に日本に感 謝している、日本はこれからもアジアのリーダーとして頑張ってくれと、これらの国が異口同音に言ったのです。当時参加していた外務省参与の加瀬俊一さんが、平成6年7月22日、京都外国語大学の講演でこの事実をしゃべっています。日本は侵略国家だと思っていた国はなかったということです。私は、戦争が終わって30年ぐらい、昭和50年ぐらいまでは、日本がなめられるという事象は生じなかったと思うんです。戦争が終わって間もなくは、反日歴史観を強制されるわけです。それでも社会の枢要な地位にいた人は、戦前の日本を知っているし経験者ですから、日本が余り左傾化することはなかったと思うんです。しかし、戦後30年、戦後教育を受けた人たちが社会の中枢に座るようになって、日本はやや左に向いてきたんじゃないかなと思います。

ダッカのハイジャック事件が昭和52年(1977年)9月28日に起きました。パリ発東京行きの日本航空機がバングラデシュのダッカで日本赤軍にハイジャックされました。日本赤軍6名を解放しろ、それから金をつけろということで、当時、福田赳夫総理大臣は、「人命は地球よりも重い」という名言を残して、日本赤軍6名を解放して、16億円の金をつけました。今はテロリストと交渉してはいけないと言われていますが、テロリストと交渉したんですね。その1カ月半後、11月15日に横田めぐみさんが拉致されました。今帰ってきている曽我さん、蓮池さん、地村さんが拉致されたのは翌年の昭和53年です。いずれにしろ、その辺から日本は行方不明者がどんどん増えたわけです。

その5年後、昭和57年になって、今度は教科書の侵略、進出事件というのが日本で起きました。これは、日本が大陸を侵略したというのを検定で「進出」に書き換えさせたということで、中国や韓国や日本のマスコミが大騒ぎした事件です。当時、宮澤官房長官は、教科書検定に当 たっては周辺諸国の意向に配慮するということで、いわゆる近隣諸国条項というのを教科書検定のガイドラインに入れました。このとき、中国や韓国から大変に評価をされました。その結果として余り大きな政治問題にはならなかった。その後どうかというと、このガイドラインをネタに何ぼでもゆすられます。昭和61年、中曽根総理大臣は、藤尾文部大臣が「日本は韓国にいいこともした」と言って、韓国からギャーギャー文句を言われて、そして藤尾文部大臣を解任することになりました。同じく61年に、中曽根総理は中国の胡耀邦主席と親しかったそうですが、非常に困難な立場に立つ ということで靖国参拝をやめろという圧力がかかりまして、靖国参拝をやめました。そのとき中国や韓国から同じように評価をされて、大きな政治問題にならなかったんです。しかし、その後どうかというと、大臣の解任問題とか、靖国問題は今も続いて いますし、問題は大きくなるだけです。そこで中曽根総理が、歴史観ぐらいいいんじゃないかと言って大臣を守る、あるいは頑張って参拝しておけば今の靖国問題は起きなかったと私は思うのです。その後が従軍慰安婦です。これは、強制連行という事実はなかったのですが、石原官房副長官が後に公表しましたけれども、河野官房長官は、韓国とか中国が騒ぐから結局譲歩して、事実がなかったにもかかわらず、強制連行があったということで政治決着 を図りました。

次が遺棄化学兵器です。日本は戦争に負けて、兵器は全部取り上げられました。ソ連や中国に取り上げられて、捨てたのはソ連や中国です。しかし、中国が騒ぐから、村山内閣、河野官房長官は、日本の責任でこれを処理すると約束しました。それで今も陸上自衛隊が行って細々とこれを処理しています。でも、量があり過ぎて、いつまで続くかわかりません。今後、日本国民の税金がこれにどれだけ注ぎ込まれるかわからないんですね。そのとき評価をされて、余り大きな政治問題にならなかった。しかし、それがその後日本にいい結果を及ぼしているかというと、ちっともいい結果を及ぼしていないんじゃないかと思います。

だから、正しいことを主張したら、そのとき問題になるかもしれません。しかし、正しいことを主張して乗り越えていかなければだめなのではないかと思うのです。どうしてそうなのかというと、主張するのがつらいこともあるし、何となく、日本は戦前悪いことをしたという後ろめたい気持ちがあると思うのです。それがあるから何か譲歩してしまう。その繰り返しで、結局日本がどんどん損をしている。この状態から抜け出さなければいけないのではないかと思うのです。頑張ることはつらいですよ。しかし、外交交渉でも、国を背負ってものを言わなければいけないですね。外交官とか大臣が楽をしたら、苦労するのは誰ですか。国民です。実際、面と向かって、中国にだって韓国にだって、あるいはアメリカにだって、日本の主張を言うことはつらいです。ガンガン言えば人間関係も崩れるかもしれない。しかし、それをやらなければいけないと思うのです。結局、国家や国民のためには、おれがここで苦しまなければいけないという志が低いのではないかと思うのです。

歴史は誰がつくるかというと、歴史は戦勝国がつくるのです。戦争に勝った国がつくります。戦争に負けた国は、一とき、戦争に勝った国の歴史を強制、強要されます。日本の場合は戦争に負けて、アメリカから見た一方的な歴史、「正義の国、民主主義国家アメリカ、極悪非道の独裁国家日本」という構図の歴史をずっと強制されてきました。アメリカが日本を占領して何をやったかというと、まず徹底的な検閲をやったんですね。新聞、雑誌の発行、ラジオの放送をするときに、検閲ガイドラインに沿って、原稿をチェック、簡単に言えば、アメリカの悪口を言うことはだめです、日本とか日本軍を褒めることはだめですというガイドラインなのです。

次に、焚書が行われたのです。占領軍にとって都合の悪い図書は全部焼かれた、それから日本にとって都合のいい図書も全部焼かれたということです。白人の国というのは、300年、400年にわたって有色人種の国家を侵略し、奴隷同然の生活をしている場面がいっぱいあります。そういう本は全部焼かれてしまいました。一方、日本が朝鮮半島、台湾あるいは満州で何をやっていたかということを書いた本もいっぱいありました。こういう本を読むと、 非常にのどかに生活しているのがわかるのです。日本が侵略したとかいうことではないことが明らかにわかってしまうのです。そういう本も全部焼かれたのです。7800種類ぐらいの本が焼かれたと言われています。

地理の教育が占領軍に禁止されました。歴史の教育ではなく、地理の教育です。なぜ地理の教育が禁止されたかというと、16世紀の世界地図と20世紀の世界地図を見比べたら、なくなっている国がいっぱいあります。どういう国がなくなっているかというと、みんな有色人種の国です。そうすると、白人国家が何をやったかというのは一目瞭然わかってしまいます。したがって、地理の教育が禁止されました。日本が朝鮮半島や台湾あるいは満州でどういうことをしたか。日本はいわゆる金の持ち出しをしたのです。日本は明治維新以降、帝国大学を9つつくりました。最初に東京帝国大学、京都帝国大学、 東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、6番目につくられたのが、1924年、朝鮮半島に京城帝国大学です。4年遅れて1928年、台湾に台北帝国 大学がつくられました。3年遅れて1931年、大阪帝国大学、さらに8年遅れて1939年、名古屋帝国大学という順番です。日本政府は、大阪とか名古屋よりも先に、朝鮮半島とか台湾に帝国大学をつくっているのです。何のためにつくったのか。現地の人を教育するためです。これに対して白人国家がやったことは愚民化政策です。いわゆる愚民化教育で、知恵をつけると反抗してくるから教えない方がいいというようなことをやられていたということです。

中国を侵略したとよく言われますけれども、1937年7月7日、七夕の夜の10時ごろ、日本軍は北京郊外の盧溝橋というところで演習をしていました。ここに弾が飛んでくるのです。日本が、現地を警備していた中国に申し入れをすると、わかった、きちんと取り締まると中国は言うのですが、それでもなおかつそういうテロ攻撃みたいなものがどんどん起きるのです。3週間後、日本軍が南に下がったときに、通州事変というのが起きます。1937年7月29日です。これは日本人二百十数名がむちゃくちゃな殺され方をしたのです。首をはねられるとか、はらわたをえぐり出される、鼻をそぎ落とす、耳をそぎ落とす、男は男根を切られるとか女性は陰部に棒を突っ込まれるとか、むちゃくちゃな殺され方なんです。日本では考えられない。それをやられても、日本はなおかつ日中戦争をやるまいとして、おさめよう、おさめようとしたのです。しかし、8月に入ってもまた日本軍に対してテロ行為が起きます。大山中尉殺害事件とか、どんどん起きます。

これはなぜかというと、第二次国共合作で、蒋介石国民党には多数の毛沢東の共産ゲリラがいっぱい入っています。その後ろには、ロシア革命後できた共産主義インターナショナル、いわゆるコミンテルンの動きがあります。それは蒋介石国民党と日本軍を戦わせて両者を疲弊させて、後で毛沢東の共産党に中国を支配させるという動きです。ですから、やめよう、やめようとしますけれども、何度も何度も攻撃してきます。そして8月13日になって、蒋介石国民党が今度は地上から空中から、大規模な攻撃をします。そして多くの日本人が死にます。あそこにそのときいた日本軍は海軍の陸戦隊だけです 。海軍の陸戦隊しかいないということは、戦争をやる気なんかなかったということです。1カ月半たって日本はやっと、もうしようがない、中国と戦争をやるしかないということで初めて軍を進めるのです。これのどこが侵略なんですか。

昭和21年になって、いわゆる東京裁判が始まりました。東京裁判は、ご存じのようにマッカーサー条例という戦争が終わってからつくられた法律で、さかのぼって戦争中の日本の軍人の行為を裁くというものです。これは近代民主主義国家の法律は遡及しないという原則にも明らかに反します。 AとBがけんかをして、勝った方のAがBを裁くといったら、公平な裁判にはならないですね。裁判は、第三者である者がやるか、もしくは少なくともAとBから同数の裁判官が出なければ公平な裁判にならない。しかし、戦勝国からだけ裁判官が出ました。

東京裁判の冒頭で、東条総理大臣の弁護人である清瀬一郎という人が、裁判の管轄権という問題で、「この裁判は国際法上のいかなる権限に基づいてできるのか」と質問したのです。オーストラリア人の裁判長ウェッブさんは「後で答える」と言いましたけれども、裁判が終わるまで2年半の間、 答えることはなかったのです。また、東京裁判では南京大虐殺の話も出ました。しかし、これは東京裁判でも証明できませんでした。マッカーサーが、朝鮮戦争で原子爆弾を使うと言って、その任を解かれてアメリカに帰って、昭和26年5月3日、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、東京裁判をやらせたのは間違いだったというようなことを言っています。というようなことで、「日本は悪いことをしてきた」というところから脱却しないと、自分の国は自分で守る体制もできないし、最終的には自信がなくて日本のぶち壊しを始めていく、日本的なものは皆だめだ、終身雇用もだめだ、年功序列もだめだ、会社は株主のものだ、社外取締役だとか、そういうことになって日本的なものをどんどんぶち壊していくのではないかと思うのです。でも、伝統とか文化の中には国民が幸せになる知恵がいっぱい含まれているのではないでしょうか。それをアメリカからいろいろ要求される。結局アメリカに守ってもらっていますから、最終的にはどこかで言うことを聞かざるを得ないという状況に今日本は置かれているのではないか。私は、一歩ずつ自分の国は自分で守るという方向に行くべきだと思います。」

約40分間の講演を、参加者は、熱心に聞き入りました。

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